小泉明朗「Battlelands」

小泉明朗の「Battlelands」 を観て(体験して)きました。

映像とインスタレーションとVR。

詳しい情報は下記です。

http://www.mujin-to.com/press/koizumi_2019_dreamscape.htm

VRは各回5人の予約制なので5時から予約し、映像や展示をその前に見ようと思い4時半ぐらいに会場に着きました。

映像はアフガニスタンに従軍した元軍人の現在の生活と戦場の記憶で彼らの視点で撮影された映像がプロジェクターで流れていて、それはおそらく彼らの正直な告白なのだと思って見ていました。

5時少し過ぎ、VRの準備が出来て呼ばれました。VRは初体験でした。

ヘッドセットとヘッドホンをつけてしばらく待っていると街中の様子から映像は始まりました。

その時はカメラは固定されていたようで特に何も思わなかったのですが、屋内に入ってイラク人のアハメッドにダースベーダーのようなマスクのようなカメラを装着する時に生首になった自分を引っ張られていくような感じでグラグラ揺れて吐きそうになりました。

鏡の前でそのマスクを装着されて隣の部屋に連れていかれ、さらに吐きそうになったのを我慢していました。そして、アハメッドの体験をアハッメドの体の中にいるような位置で聞くことになりました。

小泉明朗の作品は以前にもいくつか見ていて、その印象はおかしな状況を続けていったり、被写体に過剰な要求をつき続けたりすることによって浮かび上がってくる別の意味というか感覚が非常に興味深かったのですが、今回はそれの矛先がこちら、観覧者側に来たような印象でした。

アハメッドは非常に衝撃的な悲しい個人的な体験を話し、私は同じ体の中でそれを聞いている。しかし、彼が少し動くたびに非常に気持ちが悪くなる。途中、一緒に手をうごすように促されて同じように手を動かすと確かに彼の体とシンクロしたように感じる。しかし、ずれた瞬間にまた気持ち悪くなる。もう動かないでって思う。私にとっては苦行。

アハメッドは語りのプロではないので話しはうまく無いし、このVRの気持ち悪い状況で何が起きたのかは理解しつつも頭の中に入ってこない。

最後、マスクを脱いで床に置き、こちらにヘッドセットを脱いで私をここから連れ出してくれと語る。床に置かれたマスクから見る光景は、自分が首を切られて生首になってみているようだった。左上を見上げるとアハッメドが泣いていた。

結局私は彼と同一にはなれないし、連れ出すこともできない。同じ体の中で聞いても同じ体験、記憶は共有できない。VRはそのための効果装置として使われたような気がしました。気持ち悪くならない人はならないらしいのでなんとも言えませんが、自分の感覚ではどんなに近くに寄られてもその人にはなれないことを強く感じたのでした。

ヘッドセットを外した後、プロジェクターで流れてる映像をしばらく見ました。

同じような視点のカメラで作られた映像なのになぜこちらはVRにしなかったのか。全く望んでいない状況が身に降りかかってくるのか、ある程度覚悟した(訓練もある)状況でそれがくるのか。

いろいろ考えて。今も考えて。

Written by:

タグ:

コメントは受け付けていません。

ページトップへ